そうだ、京都へ行こう!1 ~美食編~
2004年8月20日仕事では設計の最大の山場を迎える前の最後の週末。
ついこの1週間前に飲んだ勢いで言ったモッチィの一言、
「京都行きたいら?来週行くか」
それが現実となって俺達はその日仕事が終わると、
モッチィの家に集まり京都を目指した。
何の計画も立てず、宿も取らず、ただ京都へ行ってみることだけが目的の旅。
その週俺は設計にいそしんでいた。
週始めに設計図が上がってきて2日がかりで検図を進め、
立て続けにあがってきた追加図面に取り掛かったのが火曜日の午後。
水曜に検図を済ますとその承認をもらう為、常務に検図の結果を見せに行った。
そのままうまくすれば基板の出来上がってくる翌週までは
忙しさも小康状態に入る予定だった。
しかし常務の言葉はその予定をくつがえすものだった。
パターンの配線をほぼ一からやり直さないといけないといけないと言うのだ。
このままじゃうまく動作しないのだと言う。
そこから金曜まで再設計におわれ、出発当日に出された予定は…、
・20日(金)夜中~21日(土)早朝にかけて基板図完成。
・土曜の午前中のうちに検図を済ませて、基板作成の依頼。
・月曜から基板作成開始。
というものだった。
「これじゃ~京都なんか行けない!」かなりの衝撃が俺を襲った。
しかしよくよく考えてみると、土曜の早朝に図面があがってきて、
それを昼までに検図を終了させるなんてのは、時間的に無理がある。
それを常務とパターン設計のT氏に訴えると、
「週末中に検図をすませて、23日(月)の朝一にGOがかけれれば、なんとかなる」
という返事が返ってきた。
そこで俺は日曜に出勤して、意地でもその日中に検図を終わらせることにして、
京都行きを決行することにした。
その結論が出たのは、すでに18時をまわってからのこと。
その後は急いで帰ると旅に必要な最低限の準備と、
VTR撮影機材をオデッセイに詰め込んでモッチィの家に向かった。
モッチィの家に着くと、すでにモッチィは平井を拾って帰宅しており、
モッチィの仕度ができるのを待って、22時半には出発していた。
まずモッチィ宅の近くのコンビニに立ち寄ると、
軽く食料と飲み物を調達することにした。
この日平井は「昼のお仕事」=「パチンコ&スロット」で勝ったらしかった。
そうなると奴の財布の紐はとたんにゆるくなる。
みんなしてお茶だのカロリーメイトなどを買ってるなか、
やつはガムを買いあさっていたのである。
プラスチックの容器に詰められた、俺も子どもの頃近くのスーパーなんかで買った「ふーせんの実」、なにやら新商品らしい怪しげな南国フルーツのロッテガム。
平井のことを知っている奴なら、ヤツの味覚についても承知のことだろう。
ヤツは異常なほどの甘党なのである。
この日と違ってふだんの金の無い平井は(大学時代などはさらに金が無かった)。
深夜に腹が減ってみんなでファミレスに行ったときも、
何を注文するでもなく水をおかわりしていた。
しかしその水がただのおひやではない。
ドリンクバーの所から持ち出してきたガムシロップを、
数個注ぎ込むと「んまい」と言って飲んでいるような、
そんな味覚の持ち主なのである。
そんな彼の買ったガム、その南国フルーツのロッテガム。
「マンゴー」だか「ドリアン」だか知らないが、そいつがかなりの曲者だった。
なんせ今調べてみたロッテのホームページにすら載っていないのである。
もしかしたら京都の旅から2週間、
すでに「なかったこと」になっているのかもしれない。
とにかく、そのぐらいの威力を持ったガムだったのである。
1泊目は車中泊を考えていた俺達は、この夏の時期、
暑さで早朝に起こされてしまうことを考え、
さっさと高速に乗って短時間で距離をかせぎ、この日は早く寝ることにした。
しかし、実際は俺もモッチィもなかなかの酒飲み。
せっかくの旅に酒も飲まずに寝ちまおうなんて考えているはずもないのである。
それでもAM1時前には寝よう、それは可能なことだ。
…と思われたのだが、時間と距離から見てもっとも妥当な守山SAに着くと、
俺達の考えが甘かったことを思い知らされることになる。
高速道路のサービスエリア、酒なんてものが売ってようはずもない。
それでも「止まったSAが守山なんつうちっちぇとこだからに違いない、
養老まで行けばあそこにはあるだろう。なんてったって、
養老の滝なんて言う酒の話があるぐらいだから」
なんて都合のいいことを言うと守山SAを後にした。
それがすでに日付をまたいだ頃、養老までは1時間ぐらいのところ。
もしそこで酒を売ってたとしても、1時前に寝るなんてのは
到底無理な話になってきた。
俺もモッチィも仕事明け、疲れがやがてテンションをあげていき、
養老SAに到着したのは、守山SAを出てから実に40分後ぐらいだった。
しかし、いくら酒の養老とは言え、やはり高速道路のサービスエリア。
俺達の甘っちょろい期待は脆くも崩れ去るのであった。
しかもこの時点ですでに1時をまわってしまっている。
このまま駐車場で車中箔を決行したところで4時間もしないうちに、
暑さに起こされてしまうだろう。
「こうなったら高速に見切りをつけて(?)、下道で酒と安い宿を探すか」
自分達の考えの甘さを、高速道路のいたらなさにすりかえて、
いちゃもんを吐くと下道に降り、それからもかなりの時間を走った。
酒と宿にありついたのは、さらにこの1時間半後、
出発から実に4時間が経過していた。
しかしその反面、当初は「半分弱の150kmも行っときゃいいら」
なんて思っていたにもかかわらず、気が付けば京都までは
あと60kmの所まで進んでいたのだった。
今にして思えば高速を降りてからあれだけ走るのであれば、
あのまま高速で京都に入ってしまった方がよかったかもしれない。
高速を降りたのは関ヶ原ICだっただろうか。(岐阜県と滋賀県の境あたりか?)
高速を降りると国道21号ひた走ったが、進めど進めど街に出ない。
広がるのは山と暗闇ばかりなのである。
酒自体は高速を降りてすぐのコンビニで購入したものの、
肝心の宿が見つからない。何度男三人でラブホに入る覚悟を決めたことか…。
しかし彦根に入ると遠目に街の明かりを発見し、「これを逃したらもうない!!」と、
まるで光に群がる羽虫のごとく暗闇の中を光に向かって疾走した。
駅前でかろうじて見つけたビジネスホテル。それがその日の俺達の宿だった。
2人部屋の和室しか空いておらず、そこにむりやり3人泊めてもらうことにしたが、
これが一筋縄ではない。
部屋の準備をするから、とかなりの時間フロントで待たされたのだが、
部屋に行ってみると当然のごとく布団は2人分のみ。
それはまだわかるのだが、歯ブラシもタオルも何もかもが普通に2人分なのである。向こうは2人部屋とは言え、3人でもいいと了承したにもかかわらずだ。
いくら料金は2人分にしてもらったとは言え、その料金だって
「3人なら¥16000のところを2人分の¥13000に」
っていう怪しげな計算だ。これでもし3人分の料金を支払ったところで、
たぶん歯ブラシが3セットになるだけではないんだろうか?
いろんな不満はあったものの、宿自体はきれいなものだった。
フロントのおっちゃんの言い値がまっとうなら1人あたり¥6500、
ビジネスホテルとしては高いほうである。
それだけにトイレ・バス別のうえにそのそれぞれがかなり広く、
しっかりとしたものだった。
ただ、それでも一言言わせてもらうのならば、「あの浴衣はない!!!」
モッチィがポロっともらしていたが、まさに彼の言う通り、
まるでメンソレータムを彷彿とさせるしょぼいデザイン。
うっすいグリーンに濃いグリーンのホテル名の入った中途半端な縦縞。
帯もリボンみたいな生地の同じ2色を裏表にした、趣味の悪いものだった。
あんな広いトイレなんぞ作っとらんと、もうちっとましな浴衣を作れってな感じだ。
ちっとは冬の能登の旅で泊まった、氷見の旅館の浴衣を
見習ってもらいたいものである。
そんなこんなで酒を酌み交わし、寝たのが4時半前、
当然起きるのだって遅れてくるわけだ。
がんばって起きたものの、その時にはすでに10時頃になっていた。
俺達は起きるとすぐに仕度を整え、コンビニで軽い朝飯とミソスープを食べて、
京都に向けて再びオデッセイを走らせた。
しかしその足は遅々として進まなかった。
軽い渋滞が断続的に襲い、時速40km以下で走るでっかいトラックに道を阻まれ、
京都に入ったのはもう13時近かったんじゃないだろうか。
京都に入ってからは、京都行きを決めた時に同席していたシミが
「ここはお勧めだ」と教えてくれた、すきやきのお店「三島亭」を探すことになった。
シミに教えてもらった時点で、住所とTEL番号をメモってあったため、
近くまで行って道を聞こうと三島亭にTELをした。
しかし道が碁盤の目になっている京都だからなのか、
逆に京都の人たちは道を教えるのが恐ろしく下手だった。
もしかしたら地図さえあれば簡単に目的地に向かえる京都だからこそ、
道を聞かれて答えるってプロセス自体があまり発生しないのかもしれない。
しかしだからと言って俺達をなめてもらっちゃ困る。
俺達は京都行きが決まってから1週間、なんの準備もしていないのだから。
もちろん宿なんか取ってないし、京都の地図はおろか、
1冊の地図すら持っていないのだ。
住所があったわかっていたところで、
青看板がなければ何一つ意味をなさないのである。
しかしこのときの俺らはノリにのっていたのだろう。
TELをして道を聞いた時点で店のすぐ近くまできていたのである。
…が、それを店の人が理解しているはずもない。
おそらく店の人は電車かバスで来て近くなったからTELしてきたのだ
と思ったのだろう。
まさかTELしてみたらもう店の近くだったなんて事実を予想もできるはずがない。
店の人は当然の様に横断歩道をわたれだの、商店街に入ってこいだのと、
オデッセイの存在をのっけから除外した説明を始めた。
「車で来てるんですが、駐車場は…」なんて聞いた日にゃ、向こうは駐車場はないからと、予想もしてない質問の応対に四苦八苦しているようだった。
俺はTELでナビってもらうことを断念すると、適当に駐車場を探し、
そこからようやく歩いて店を目指すことにした。
とは言え駐車場を出たところで「なんとなくこっちに店があるだろう」
ぐらいしかわからない。
勘に頼って歩みを進めると、偶然目に入ったサークルKで道を聞くことにした。
しかし、やっぱりこの店員も道の説明の仕方に要領を得ない。
俺達は店員の指差した方角と、「蟹道楽の隣」と言う単語だけを頼りに、
さらに歩みを進めていった。
しばらく歩いたところで、ようやくTELで聞いたものと思われる
商店街に入ることができた。
TELで聞いた話では、その商店街の一番奥らしい。
しかし、俺達が商店街に足を踏み入れたその場所は、
ちょうど商店街の真ん中あたり。
ここからではどっちが奥なのかがわからない。
どうしたものかとあたりを見回すと、遠く商店街の端っこあたりに、
蟹の足らしきものを発見することができた。
「こんどこそ」と俺達は確信をもって早足に商店街を進んでいく。
腹は減っていたが、京都の空気がそうさせるのか、
その状況でも怒りなんてものはわくことなく、むしろ笑みを抑えきれないほどだった。
三島亭の前に着くと、そこはずいぶんと歴史ある店なのが一目でわかった。
1階が下駄箱と玄関&階段、そして残りのスペースは
全てガラスケースに収められた肉・肉・肉。
三島亭はすきやき料亭と同時に、店で出している肉の販売もしているのだった。
しかしその外観は肉屋のそれとはぜんぜんおもむきの深みが違う。
当然の様に全てが木造だし、その木材の1つ1つが古く、
大きなパーツからなり、太い柱が重厚感を惜しみなく発揮していた。
玄関には客の靴の出し入れと、迎え入れだけを任されたおじさんが出迎え、
靴を脱いで上がると、俺達に番号のプレートを手渡した。
階段を上っていくと、そこはまるで神道系の結婚式でも始まるかのような、
粛々とした雰囲気に包まれ、清楚でおちついた水色の着物姿の店員達が
俺達を出迎えた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた声で店員達が、俺達のような、裸足にハーパンなんて輩に対しても、
やわらかく会釈で挨拶をする。
「おいでやす」じゃなかったことが少し残念な気もしたが、その立ち居振舞いは、
全身から京都を感じさせた。
下で受け取ったプレートを手渡すと、
店員の一人が俺達の先に立って部屋へと案内していく。
さらに階段を上りゆったりとした空間の廊下を進む。
すれ違う店員達は静かに道をゆずり、会釈をかけてくる。
裸足にハーパンの俺達に、だ。
一つの部屋の前まで来ると、ふすまを開け、店員は部屋の中へと俺達を案内した。
ふすまも部屋も、きれいなものではなかったが、汚れているというわけではなく、
ただただ歴史だけを静かに物語っているようだった。
店員は俺達が座布団に座るのを見届けると、注文を取り静かに部屋を後にした。
店員が下がり、俺達は改めて案内された部屋を見回した。
中央に八角形の電熱器が埋め込まれた八角形のちゃぶ台、
床の間に掛けられた地味な掛け軸、そこには最低限なものしかない、
昭和の居間を連想させたが、それでも夜な夜な政治家が密会をしてたころで、
なんの違和感も感じさせないような雰囲気が漂っていた。
メニューの冊子は少しあせた紺色に金色で「三島亭」と記されている。
冊子を開くと丁寧な挨拶文からはじまり、
4~5頁のあっさりした内容だったけれど…、
きましたよ!、1万円を越える品々、最低でも¥8500~。そのうえコーラが¥460。
モッチィは「ソフトドリンクの値段で、店の高級さがわかる」と言っていたが、
これがまさにヤバイほどの高級料亭の物価なのだろう。
部屋の内装からは想像できないが、あからさまな物価の違いだ。
バッティングセンターなんかで売ってるビンのコカコーラ、
せいぜい¥100以下のコーラが¥460!!危険な香りがプンプンあふれ出ている。
もし何も知らずにこの店に入ってメニューを見たとしたら、
一目散に逃げ出していたことは間違いないだろう。
しかし今回の俺らはちゃんと事前情報を得ている。
ランチならば¥3000で済むことを。
さらにその内容が、肉3枚+ライスだけであるってこともだ。
それでもシミの力いっぱいの「おすすめ!」って言葉に突き動かされ、
その店が京都にあることに惹かれて足を踏み入れたのである。
しばらくすると店員が大きなお盆を持って部屋にやってきた。
お盆には小さな八角形の鍋と、肉と野菜が盛られたお皿、
そしてお櫃とお茶やタレが入った小さなお盆がのせられていた。
店員は鍋を電熱器に乗せると火を入れて、
「肉のうまみが逃げないように」と鍋に砂糖をまぶす。
鍋があたたかかくなる間に小皿と卵を用意してテーブルにのせる。
俺達は「焼き方はわかりますか?」と問われたが、苦笑いを返すと、
「心配だから1枚は焼いていきますね」と言って、
あたたまった鍋に肉をのせていった。
その肉どもは、俺達が予想しているものに比べると、意外に大きなものだった。
ライスがいくらに相当するのかはわからないが、普通の店なら¥200ぐらい、
その計算だと肉1枚あたりの値段は、なんと約¥900だ。
俺達がBBQなんかに使う肉ったら、いくら牛とは言え1パックでも
そんな値段がつくだろうか。嫌がおうにも期待が高まっていく。
店員さんの動作はさすがに慣れたもので、手際よく肉を広げると見る見るうちに火が通っていくのがわかった。ある程度火が通ると裏返してわりした(タレ)をかけていく。
そしてもう一度裏返すと、俺達に
「さあどうぞ、あとは焦がさないようにだけ気をつけてくださいね」
と言って店員さんは退室していった。
俺達はそれぞれに肉を手にすると、若干ビビリつつも口に運んでいった。
「……うまい!!」
「なんだこれ?!」
「これが肉か?!」
なんの故意もなく口から飛び出した感想は、
まるで食いしん坊万歳のそれと同じ、大げさなものだった。
しかしホントにおいしいのである。やわらかくて臭みがなく
「これが本当の『肉』なら、今まで食べてた『肉』ってやつはなんだったんだ?」
と言うほどの衝撃があったのである。
俺達はごはんをよそうのも忘れ、気が付けばその『肉』をたいらげていた。
シミに「一人肉3枚で¥3000」だと聞いたときには
「ランチのくせになんでそんなするだ?」と思っていたが、
あの衝撃を考えると¥3000は安いのかもしれない。
確かにディナーでは1万越しても文句は言えないんじゃないか
ってほどの美味さだった。
続いて俺達はたまねぎとこんにゃく、そして豆腐を鍋に入れる、
焦げ付かないように水を少し足して、わりしたを加える。
わりしたと肉汁が十分に染み込むのを待って口に運ぶと、
それらもとろけるような美味さだった。
一体何が違うんだろう?わりしたか?それともやっぱり肉汁なのか?
とにかく絶品であることに間違いはなかった。
そうしていると通りかかった店員さん(肉焼いてくれた人)が「うまく焼けてますか?」
と顔を覗かせたが、たえまなく動き回る俺達の箸を見て
「大丈夫そうですね」と仕事に戻っていった。
三島亭の何がいいって、やっぱりあの心遣いがいい!
!もちろん味も最高だけど、心遣いは群をぬいている。
これは三島亭に限ったことじゃなく、京都という土地か、水か、空気か知らないけど、
京都に住む人たちのやわらかいあたたかさは、
他のどこの県と比べても比類ないんじゃないだろうか。
もう、彦根のミソスープを買ったコンビニの店員なんかと比べたら、
天と地ほどの差を感じずにはいられない。
感動の三島亭をあとにすると、俺達はモッチィリクエストの
金閣寺へ行くことになった。
金閣寺 (鹿苑寺)足利三代将軍の義満が山荘を譲り受け北山殿を造営し、
義満の死後に戒名を寺としたという有名なアレだ。
雄大な池(鏡湖池)を中心として庭園が広がり
中心の金閣が見事な造形美を感じさせる。
秋の紅葉も素晴らしく金と紅の対比は他にはまずないだろう。
現在の金閣は昭和30年の再建で昭和62年に金箔張り替え修復をしたと言う。
俺が始めて金閣寺を見たのは、確かその張り替え修復工事のときだったことを
記憶しているから、小学校の1~2年のときのことだろう。
子どもの俺には、金色に輝く金閣さんがただかっこよく、
太秦かなんかで買ったお土産の小判と見比べたのを憶えているが、
あまり感動した記憶がない。
あの頃は京都=金色みたいな感じで、「こういうものなんだ」
みたいに思っていたのかもしれない。
その金閣寺をモッチィは20歳を過ぎてまだ、見たことがないらしい。
大人になって目の当たりにする金閣さんのいでたち、
それはかなりの衝撃じゃないだろうか。
そんな彼をうらやましく思いながらも、驚く彼の顔を楽しみに金閣寺へと向かった。
向かったのだが、いまだに京都の地図なんてものを持ってなかった俺達は、
とりあえず俺のかすかな記憶を頼りに出発し、
コンビニで京都の観光雑誌を購入することにした。
しかし京都の道ってのは本当にわかりやすい。
東西、そして南北に走る規則的な碁盤の目、メインの通りは広くて走りやすい。
これなら現地の人たちの道の説明が、
いっこうに上達しないのもうなずけると言うものである。
ただそうは言っても車で観光する人ってのは少ないものなのだろう。
店だろうと有名な寺だろうと、たいした駐車場も準備されておらず、
コンビニに至っては入りにくいことこのうえない。
見つけても大きな通りの角で入れなかったり、駐車場がなかったり、
四苦八苦のすえ中央分離帯の反対側に駐車場のあるコンビニをとらえ、
大きく回りこんでようやくたどり着くことに成功した。
こんな風に苦労の末手に入れた雑誌は、市バスの路線図だけを切り取ると、
他は見向きもされずに後部座席へと放置された。
なんで?と思う人もいるかもしれないが、
俺達の旅ってのはだいたいこんなものなのだ。
美味い店を探すんなら現地の人に教えてもらうし、
観光できるような所だってたいてい通りすがりに立ち寄るのである。
だが、だからこそ、この方がなんの予備知識もないため、
予想外に面白いものに出くわしたり、貴重な体験を得られたりするのだ。
かくして地図(路線図)を手に入れた俺達は、
すんなりと金閣寺にたどり着くことができた。
駐車場にオデッセイをとめると、その敷地へと入っていく。
金閣寺ともなれば京都でも、いや、日本でも有数の観光地だ。
すれ違う人たちの3分の1ぐらいは外国人である。
俺は今回ですでに4度目の金閣寺になるのだが、
初めて訪れるモッチィのリアクションはどんなもんだろうと、
俺は入場口へと歩みを速めた。
入り口で入場券を買う、確か500円ぐらいじゃなかっただろうか。
ご存知の人も多いと思うが、金閣寺の入場券はお札を模している。
って言うよりまんまお札だ。そんな入場券に、モッチィは
すでになかなかのリアクションを示している。
これならメインディッシュでは、かなりのリアクションが期待できそうである。
入場券をみせて門をくぐると、30mも行ったところに池が見える。
金閣寺ってのは美味しい物は先に食べちゃうタイプみたいで、
門をくぐればすぐに大きな池にぶつかり、その池に浮かぶように、
奴は鎮座しているのだ。「よく来た、ちこぅ寄れ」ってな具合だ。
しかしモッチィは当然そんな配置なんかはまったく知らない。
門をくぐって垣根沿いに砂利道を歩いて行く。
少しテンションは高めだが、平井と話しながらいつもとたいして変わらない様子で
歩いている。
おい、モッチィ!さっきの入場券の時の驚きを忘れたのか?!
油断してたら一発で金閣に打ちのめされちまうぞ!
俺はそう思いながらも、そうなることを期待しながら、
モッチィの後ろをゆっくりとついていった。
やがて垣根が途切れて池が姿をあらわすと、ついに奴が姿をあらわした。
そう、神々しさの限りを尽くして現れたのである。
「?!………!!」
油断していた所に不意打ちの先制攻撃をくらい、モッチィは呆然としてしまっていた。
試合開始の直後に顔面にパンチをくらって、何が起きたのか理解できていない、
ちょうどそんな感じだ。
「なんじゃありゃ!!ぉぃ、ぉぃ、おい、おい、光りすぎだよ、金閣ぅ!!」
放心状態から解けたモッチィは、池の柵まで歩み寄ると、
まず金閣さんにつっこみを入れる。
俺としては、金閣さん相手に油断していたモッチィの不覚だと言いたかったが、
だいたいこんなものなのかもしれない。
数年前、クマァーチョを連れてきたときも
だいたいおんなじ様なリアクションだったように思う。
ただモッチィの表情の豊かさは特筆すべきかもしれない。
そこからはもう一般の観光客と変わらない。
写真をとったり、携帯のカメラを向けたりして、しばらく金閣さんを眺めていた。
俺と平井は、いつまでも動き出しそうもないモッチィを促すと、
池に沿って金閣さんの周りをぐるりとまわる。
観光順路が池から、そして金閣から遠ざかっていくと、
モッチィはかなり名残惜しそうに振り返りながら、
庭木に囲まれた境内の奥へと入っていった。
境内の奥に入っていくと、そこは俺にもなかなか新鮮なものがあった。
金閣さんの印象が強烈なだけに、他の記憶はかなりあいまいになっていたのだろう。
それが回数を重ね、ようやく他のものにも目が向くようになったのかもしれない。
とは言っても他は実に地味なものだから、仕方ないと言ってしまってもいいと思う。
それでも年齢のせいか何なのか、境内の順路脇にあった小さな石の社や、
何の変哲もない、って言うかむしろ昔の民家の土間のような神社、
赤い絨毯で敷き詰められたお茶の体験コーナー、
見るもの全てが心をおちつかせてくれる。
そんなものを眺めつつ順路に沿って境内を進んでいくと、
忽然とお土産屋が姿を現した。
まだ出口までの道のりも、3分の1は残っているんじゃないかって所にだ。
そのいきなりっぷりと言ったら、RPGなんかのダンジョンで突然出現してくる
道具屋やセーブポイントみたいな勢いである。
俺とモッチィは記念にお守りと扇子を買うと、3人でおみくじを引くことにした。
その内容は3人とも特に「おぉ~」と言うような内容ではなく、
何の変哲もないものだったが、平井がそれに食いついた。
それはもう面白いぐらいにだ。
「おぉぉ~!金運思いがけない収入!!これはロト6当たった!間違いない!!
いやぁ何に使おう。まず車をペロペロっと買って、残りで株。株かぁ~、うぅ~ん」
もう、俺とモッチィは笑うしかない。おみくじに書いてあった
「金運」=「宝くじ当たる」→「何買おう」
とあたりまえの様に話が進み、当たった金の使い方の打ち分けを
細かく割り振って考えているのである。
「おぉ、金運○だ。この前買った宝くじ当たるかもしれんなぁ」
ならまだわかるが、彼はそんな所なんてのはもう一足飛びにして、
当たった金をどう使うのかまで真剣に考えているのだ。
ギャンブルの申し子にしたってほどがあるだろう。
そんな話の中モッチィが、さっきのお土産屋で買い忘れがあったと言って、
彼はお土産屋まで引き返していったのだが、彼を待っている間も平井は
「いやぁ、当たる!」と言うセリフを何度となく繰り返していた。
やがてモッチィが戻ってくると、境内を抜けて駐車場のオデッセイへと戻った。
オデッセイに戻ると後部座席にほったらかされたガイドブックを頼りに、
今夜の宿を探すことにした。このときすでに時間は15時。
いつもながらの行き当たりばったりぶりだった。
学生時代ならこの宿選びも場所なんかお構いなしで、安さ1番で探すのだが、
さすがに社会人になってくると、その辺は変わってくるようだった。
もちろん安い宿にはこしたことはないのだが、この1年でずいぶん飲み歩くようになっていた俺達は、それを考慮して宿の範囲を祇園に絞って探すことにした。
学生時代も酒を飲まなかったわけではないのだが、あの頃はコンビニで買い出して、部屋でワイワイやってたから、場所にはほとんど頓着なんかなく、
1度なんかは旅館の隣がラブホだったときもある。
それに比べればなかなか優雅になってきたものである。
安さより遊べるとこを優先しだしたのだ。
そんなわけで、八坂神社付近の宿に予約を入れ、さっそく宿に向かうことにした。
早いとこチェックインを済ませて、車を預けると、街に繰り出そうと言う魂胆である。
宿は路線図のおかげで迷うことなくすんなりとたどり着くことができた。
チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、
さっそく俺達は祇園の街へと繰り出すことになったのだが、
せっかく八坂神社も近いのだからと、
ぐるっと一回りお参りしてから出かけることにした。
話は変わるが京都と言って思い浮かぶもの、まずは寺や神社、舞妓さん、
いろいろなものがあるが、大文字焼きを思い出す人も少なくはないだろう。
8月ってことで多少の期待もあったのだが、
残念なことにちょうど数日前に終わったばかりで、
「大」の焼け跡を見ることしかできなかった。
しかしそんな山肌を眺めながら街を走っていると、
京都と言う都が実に四方を山に囲まれていることがわかる。
八坂神社もそんな京都の外周に位置しているため、
そこから外側はかなりの急傾斜になっている。
そんな所で頻繁に姿を現すのが「人力車」である。
宿を出てから八坂神社までの、直線で100mぐらいの間に
実に3~4台の人力車が客を乗せたり、声を張り上げて客を呼んだりしていた。
そんな中に女の子の人力車が1台あった。
年は俺達と同じぐらいか、もっと若かっただろうか。
あとで聞いた話では京都でもただ一人なのだと言う。
興味を惹かれないでもなかったが、八坂神社はすぐそこだし、
その先は特に行く当てもないしで、結局乗ることはなかったが、
機会があったら乗ってみたいものである。
ゆっくりしたスピードで、町の話を聞きながらのんびり観光、
じつに魅力的な気がする。
そんな事を思いながらも八坂神社に入っていく。
大きな門だったが、表通りに面した入り口ではなく、裏門的なところから入ったが、
それでも門の前後には、天下一武道会ぐらいなら
かるく開催できるくらいのスペースがもうけられていた。
まず目に付いた所からお参りを始め、そのまま表門に向かい、
表門を通り越してさらに八坂神社の裏手へと回っていく。
裏手は表の明るく広い空間とはうって変わり、木々にかこまれた薄暗い空間に、
小さな社が並んでおり、その間にはぼやぁ~っとした心もとない照明が
点々と灯っていた。
しかしそこは寂しいとかって言うのではなく、千と千尋の世界のような、
静かで荘厳な雰囲気をかもし出していた。
やがてそのまま行くと、円山公園へと続いていく。
円山公園は遊具的なものはなく、たくさんの緑に囲まれ、
広場やベンチにはカップルやおじさん、おばさんなんかが
のんびりとした時間を過ごしている。
緑に囲まれていると言うのは、神社だっておんなじことなのだが、
その雰囲気はまるで違っていることに気がつく。
神社はどこか影を感じさせ、まだ8月だというのにどこからともなく
涼やかな風を運んでくる。
そしてたくさんの参拝客の楽しそうな話し声が、静かに滲み出している。
それに対して公園は、光にあふれ、忘れていた暑さとともに活気をよみがえらせる。
しかし聞こえてくる声は、子どもの甲高い騒ぎ声も、カップルの囁きも、
すべてが風景に溶け込んで、鳥のさえずりのように、
耳に直接騒々しさを感じさせない。
そんな中、人々の声を縫うようにして、耳慣れない、
しかし心地いい音楽が耳に届けられた。
はじめはその場違いな音楽に、それが何の音楽なのか理解できなかったが、
よく耳をすましてみると、それはオペラだった。
京都の公園でオペラだ。一瞬自分の耳を疑ったが、他の2人を見てみると、
2人にもたぶん俺がしていたのと同じであろう表情がうかんでいた。
それまではのんびりとあてもなく歩いていた俺達だったが、
音を頼りに公園の中心へと、俺達の足は進んでいった。
巨大な盆栽をイメージさせるような植木を通り越し、さらに歩いていくと、
そこにはささやかな人だかりができていた。
6畳ぐらいの四角い空間がロープで切り取られ、
そこでは路上パフォーマンスが行われていたのだ。
それは事前に用意された音楽に合わせて行われる、
マジックショーのようなものだった。
ウェイターのかっこをした演者が客の1人をまきこんでショーをやっていたのである。
空間の中には奥手に小さなついたてがあり、その前に小さなテーブルと折りたたみ椅子がセットされて、客はそこに座っていた。
テーブルには白いテーブルクロスがひかれ、その上に置かれたガラスの花瓶には
赤いバラが1輪飾られている。レストランでのワンシーンってところだろう。
そこへウェイターが皿を持って歩み寄っているところだったが、
どちらも一言もしゃべらない。
まるで無声映画が現実世界に抜け出してきたような雰囲気だった。
ウェイターは音楽に合わせテーブルに持ってきた皿を置くが、
その皿にはなにものせられていない。
客のほうは次に何が起こるのかわからず、
戸惑いと期待の混じったそわそわとした表情をしていた。
ウェイターは皿の上に銀色の半球体のカバー(レストランなんかで食事を運ぶ時にかぶせてあるやつ)をかぶせると、音楽のボリュームが小さくなっていく、
そしてカバーを持ち上げるウェイターの動きに合わせるように曲調が変わって、
カバーの中からは白い鳩があらわれた。
まるで動きにあとからBGMをのせたような絶妙なタイミング、
そしてあざやかな手品に観客から拍手がわいた。
…が、ナイフとフォークを手にして座っている客の目の前で、
首をかしげる鳩に今度は笑いが漏れる。
ウェイターは皿ごと鳩を持ち上げると、ナプキンをかぶせ、
またしても音楽にあわせてその鳩をターキーへと変化させた。
今度こそ、先ほどよりも大きな拍手と歓声が巻き起こった。
次にウェイターはテーブルクロスに手をかけると、
腰を落として勢いよくテーブルクロスを引く、
…と見せかけて緊張したように額の汗を拭く。
しかしそれも台本通りの行動である。
その証拠に音楽もまた、緊張を高めていったかと思うと、
彼の動きに合わせてのんびりとした曲にきりかわる。
本当に後から音楽を当てたようなタイミングの正確さだった。
しかし俺が一番驚かされたのはショーの最後、かたづけのシーンだった。
一通りのショーが終わり、ウェイターはにこやかに客に握手をする。
そして客をほったらかしで、テーブルと椅子をまとめ始めたのである。
客はどうしたらいいのかわからずおどおどしていると、
ウェイターはテーブルの端を持ち上げようとして、客を指差し、
「持て」と言うふうにテーブルの逆サイドを指した。
観客から笑いがこぼれ、客が戸惑いながらテーブルをつかむと、持ち上げる瞬間、
音楽はさっきまでのオペラなんかとは似ても似つかない、
ドリフの撤収の音楽に変わり、2人は爆笑の中ついたての裏へと
まさに撤収していったのであった。
何がすごいって、客のとまどい、その間の行動までの時間、そこまでを計算して
音楽を組み立ててあり、自分もそれにあわせ、それらを感じさせないスムーズさで
演技していたウェイターに驚かされたのだ。
いつものことながら、計画のない旅からの贈り物にはびっくりさせられる。
俺達が公園に入ってから、ショーの終演までものの5分ぐらいの時間だった。
あと5分遅かったら、そのショーの存在にすら気づかなかったはずなのである。
俺達は一様に驚きと満足感を得て、口々に興奮気味な感想を交わした。
そしてその頃には、日も傾き始める頃合になっていた。
胸に大きな満足を抱えると、そのまま夕方の祇園へと、俺達は繰り出していった。
祇園の街をさ迷い、河川敷の独特な飲み屋街に入っていく。
そこの飲み屋は一様に席など用意されておらず、
板の間に敷かれた座布団に座って飲むという変わったものだった。
最近では敷居も低くなり、たくさんの人たちが利用するらしいが、
昔はけっこう値のはる飲み屋として知られていたらしい。
みんなも祇園に行くことがあったら、
鴨川沿いの飲み屋街に行ってみるといいだろう。
いいだろうなんていいながらも、実際俺達はそこで店を探すのを諦めた。
今にして思うとなぜなのかはわからないが、店の値踏みをしつつ歩いていくうちに、
飽きてしまったのかもしれない。
道も細く、ようやっと2人が並んで歩けるぐらいの幅のうえ、
河原とは反対側の店が、高そうな店ばっかりだったことも原因の一つだろう。
飲み屋街を抜け出した俺達は、いつしか繁華街ちっくな通りをさ迷い、
地下街へと入って行ったが、飲食店らしい店すらおぼつかなくなってきている。
しかたなく合鍵屋に入ると店のにいちゃんに、
「どこかうまい店があったら教えてくれ」と助けを求めた。
そのにいちゃんはまるで大学生かなんかのようなノリで、
「どうせ金持ってへんやろ?」と言うと、一緒に働いていた2人のにいちゃん達と、
「あそこはどうだ」とか「あそこなら安い」とか教えてくれた。
が、どれも「説明が難しいから」とはっきりした場所がわからない。
しまいには河原町や木屋町の飲み屋街までの道を教えると、
「がんこ亭」やら「いろはかるた」やら、とめぼしい店の名前だけ教えて、
とりあえず行ってみろと言い出す始末だった。
そのとき俺達はすでにかなりの時間を歩き回っていて、疲れてきていたのだが、
にいちゃん達のノリでわずかにも元気を取り戻すと、
河原町方面に行ってみることにした。
地下街を出ると、勘を頼りに河原町へと向かう。
どうにか河原町にはたどり着くことができたが、
教えてもらった店は一切見つからない。
「がんこ亭」も「いろはかるた」も。
ようやくの思いで「がんこ亭」を発見するが、一見して居酒屋だった。
それも八剣伝みたいなチェーンの居酒屋だ。
立て続けに見つけた「いろはかるた」の方も似たようないでたちの店だった。
俺達は「観光客相手にえらい店教えるもんだなぁ」と苦笑すると、
気を取りなおしてその向かいにあったコンビニで
再度聞き込み調査をすることにした。
実際のところ、次に京都に来た時に「いろはかるた」に入り、
俺達はあのにいちゃん達にちょっと感謝した。
チェーンの居酒屋とは言え、京都独自のメニューがそろっていて、雰囲気もよく、
料理もおいしかったのである。
これならあの時「がんこ亭」に入ってみるのも、もしかしたらアリだったかもしれない。
とは言えこの時はそんなこととは露知らず、
新たな聞き込み調査の結果に頼る気満々だったのだが……、
はっきり言って収穫はなかった。
一軒教えてもらったのだが、なにやら憶えにくい名前の店で、
すぐ近くだと言っていたが、さっぱりその気配すらつかむことができなかったのだ。
しかたなく俺達は路上で店を開いている2人組に声をかけてみることにした。
みせといっても「なんでや」という看板があるだけで、
あとはポストカードなんかが売られている他は、
みんなの「何で?」を解決すると言う、悩み相談みたいなことをやっているらしく、
特に物を売るのが目的ではないようだった。
その一人は26~27歳ぐらいだろうか、俺たちよりもすこし年上な感じで、
来ている服装もラフなものだし、元気で笑顔いっぱいと言う感じだった。
もう一人は30代前半と言った所だろうか、モノトーンでまとめられた
すらっとした服装で、なんだかウェイターかなにかを連想させる。
キャラクターも物静かで、見守っているという感じである。
そんな2人に声をかけて、おいしい店を聞いてみたのだが、
彼らは大阪から来ていると言うことで、この辺の店には詳しくないらしい。
「また空振りか」と思ったのだが、その露店に来ていたらしいお姉さんの2人が
「おせん」と言うおばんざいの店を教えてくれた。
俺達は「おばんざい?」と耳慣れない言葉に、思わず聞き返してしまったのだが、
どうやら京都独特のお惣菜みたいなものをそう呼ぶらしいのである。
お姉さん達にお礼を言って、教えられた店に行ってみると、
こじんまりとした料亭風の居酒屋だった。
ちょっとたかそうだなとも思ったが、外に貼り出されていた御品書きを見ても
そんな高いわけではない。
それよりも「たぬき御飯」などという聞きなれないメニューの方が興味をそそった。
意を決しておせんの暖簾をくぐると、あたたかな雰囲気が俺たちを包んだ。
中はそんなに広くない。って言うかむしろ狭い。
L字のカウンター席に7人ぐらい、4人掛けのテーブルが3つあるだけで、
通路も人一人ようやく通れるくらいしかない。
店に入ると割烹着のお母さんって感じの勢いのいい店員に導かれ、
テーブルにおちついた。
さすがにえらい長いこと歩いていたため、差し出された冷たいお絞りにほっとする。
御品書きを開くと焼き魚や、肉じゃがと言ったアットホームなメニューが並ぶ。
その中から俺達は肉じゃが、焼き魚、角煮、
それに興味津々のたぬき御飯を注文した。
どれも上品な薄味で、懐かしさを感じさせてくれる料理ばかりだった。
ただ居酒屋ってこともあって、1つ1つの量が少なかったのが残念だった。
しかし、そんな残念な気持ちなんてのは、たぬき御飯が吹き飛ばしてくれた。
たぬき御飯とは何なのか。俺達は狸の肉でも使ってるのか?とか、
まさかねこまんまみたいなのが出てくるんじゃねぇだろうな?なんて眉唾もので、
期待と不安にゆれていたのだが、ついに奴がテーブルに現れた!
見た目からでは、まだいまいち何なのかよくわからない。
ぱっと見はねこまんまっぽいかもしれない。
御飯にあんかけみたいなトロっとしたタレ(?)がかかっていて、
鶏肉や野菜がその中を泳いでいる。
そのうえに生姜の摩り下ろされたものがちょこんとのっかているのである。
俺達はよほど不思議な顔をしていたのだろう。
割烹着の店員は、「かき混ぜて食べてください」と言うとさがっていった。
俺達は首を傾げつつも、言われたとおりごはんと具をかき混ぜると、
恐る恐る一口食べてみた。
「……うまい!!」
どんな味とは言えないが、御飯がアツアツのトロっとしたタレに乗って口に広がる。
「うん、素朴な味だ」なんて油断していると、背後から生姜のやろうがサクっと
切りつけてくる。
まず素朴な味が広がり、その影から刺激的な生姜の味が暴れまわるのである。
主食にって感じのものではないが、夜食とかに食べたらちょうどいいかもしれない。
「たぬき御飯」京都に行った際にはぜひともご賞味することをお勧めする。
おせん以外でも、和風の料理屋の御品書きには名をつらねているので、
見つけることはそんなに難しくもないだろう。
意外な料理に満足すると俺達はおせんを後にした。
雰囲気もアットホームで、おちついた店なのだが、
周りの客がどれもこれも常連さんばっかり(ってか常連さんのみ)で、
長居できるようになるには、かなりの経験値が必要なのである。
とりあえずコンビニまで戻ろうか、と来た道を戻っていくと、
さっきの露店がまだ店を開いていた。
時計を確認するとまだ時間は21時前をさしていた。
どうやら行動開始が早かっただけで、まだ宵の口ほどにもいってなかったのである。
こんな時間ならと、俺達は「なんでや」のにいちゃん達に声をかけることにした。
おいしい御飯に満足したお礼を、と思ってのことだった。
…のだが満足感に勢いを得ていた俺達は、「いつもここで店を出してるのか?」とか
「どこから来た?」なんて言う世間話に発展していった。
そうなってくると彼らは話すことを売り物にしている露店のにいちゃん達だ、
「試しに悩みとかあったら言うてみぃ、金をとろうとは思わんで」と切り出してきた。
そうは言われても、俺もモッチィもプラス思考と何とかなるさ理論の持ち主だから、
悩みって言う悩みなんかはない。むしろ悩むことを楽しみさえするバカどもだ。
平井にいたっては、どちらかというと現実と言うより幻想の世界の住人だから、
悩みなんてものより、妄想の方がはるかにでかい人物である。
「うぅ~ん、特にないなぁ」と返すと、ポストカードにかかれた様々な「なんで?」の
お題を指して、気になる疑問はないかと聞いてきた。
が、そもそも人に何でと聞く前に、まず自分で答えを出しちゃうことを
常としている俺達は、またも首を振るしかなかった。
「じゃ~これからの世界について話そうか?これからどうなっていくのか、
世界がいまのままじゃ不安やろ?」と言って話はじめたのは、
年上の方のにいちゃんだった。
話は国債の話に始まり、なぜ国債が発行され、その借金は増えつづけるのかを
語り、これからを良くしていくのには、政策よりも何よりも「活力」を持つことだと言う。
そのまま話は男女問題だったり、人間関係などの「何で?」に飛び火しながら
「活力」の大切さを語った。
確かに彼の言うことは正しいと思うし、一つの理想だとは思った。
しかし聞いているうちに、どの「何で?」を選んで話を聞いても、
結局「活力」の話になるんだなと言うのがわかってきて、
彼らが自分で考え、悩んだ意見を世間に伝えたくて「なんでや」を
やっているんじゃなくて、ある程度決まった受け売りを話していることに気づいた。
一種の宗教活動のようなものだと言う感じさえしてくる。
どうやら同じ「なんでや」が各所にもあり、講習会みたいなことも開いているようだ。
宗教活動と言うとイメージは悪いかも知れないが、行っていることは間違ってないし、
少なくともこの2人は金目当てでもなさそうだ。
どっちかって言うとささやかな革命家集団と言った方が的確かもしれない。
そこまで読めてくると、たぶんこの年上のにいちゃんは、
この「なんでやグループ」の、そこそこの地位にいるのではないかと言う感じがした。
まだ若いけど話はうまいし、説得力もある。
なにより一癖も二癖もある俺たちに、はじめだけとは言え「すげぇ人たちだ」と
思わせるってのは、なかなかの実力だろう。
なんつっても俺達といえば、社会的通念よりも自分の正しさを貫くような、
あたりまえの事に疑問をもつような、そんなへそまがりなのだ。
それを正論で説き伏せるとはたいしたものだと思ったのだ。
とは言え、おぼろげにでも裏が見えてくると、ちょっと冷めてしまった。
俺たちが「すげぇ」と思ったのは、自分で考えたことを世間に広めようと、
自力でがんばっているのだと思っていたからだ。
定職にも就かず、露店で自分の考えや話を聞いてもらって生活していく。
これはかなりの覚悟が必要だろう。
そんな生活に身を窶しているだけでも、すごいとは思うのだが、
自分の意見をひろめようとしているのではなく、
受け売りをばら撒いていることになんだか冷めてしまったのである。
しかしさすがに幹部は色々な知識が豊富で、世界状勢だの人間関係、
男女問題どんな質問にもそつなく答えてくる。
俺は冷めてしまったとは言え、その知識は賞賛できたし、
普段は触れないような話題や疑問を話すことは楽しかった。
路上にあぐらをかき、露店で向かい合って話し合う5人の男達。
街行く人たちはどんな目で俺たちを見ていたかはわからないが、
気がつくとさらに4~5人が俺たちをとりまき、口までは出してこないが、
熱弁する幹部や、質問や異を唱える俺たちの話に聞き入っているようだった。
やがて幹部の話が終わると、ささやかな拍手が起こった。
話を聞いていた彼らが何を思ったのかは知らないが、
知らない土地で名前も知らない人たちと、こんなにも話し込んだことが新鮮で、
俺たちもまんざらではなかった。
時計を見ると22時をまわっている。2時間近くも話していたようだった。
彼らに別れを告げると、俺達は「和民」で酒を飲んで帰ることにした。
和民の中は喧騒と言うか何と言うか、すさまじいうるささだった。
そんな中さっきのなんでやの感想を聞いてみると、
2人とも俺と似たような感想だったみたいだ。
思わず苦笑いがうかんでしまう。
それでも今回の旅では多くの人と触れ合うことができた。
今まで新潟、松本、清水、能登と色々な旅をしたけれど、
こんなにたくさんの人と話したのは初めてである。
それがこの京都と言う街のせいなのか、俺たち自身が変わったのかは
わからないけれど、このあと度々京都を訪れるようになったのは、
人との触れ合いが心地よかったからかもしれない。
ただ、あの和民だけにはもう足を踏み入れることはないだろう。
あの喧騒もさることながら、店員の対応にも不満が大きい。
一人は妙に甲高い声のやせた姉ちゃんで、まるで腹話術の人形みたいだし、
もう一人は対して動き回っているような感じでもないのに、
滝のような汗に全身を濡らしている。
そしてこの腹話汁のコンビが、そろって対応が遅かったのだ。
最後の最後に渋い人たちとの触れ合いで締めくくってしまったが、
京都はホントにいいとこだった。
緩やかに時間が流れ、のどかな雰囲気にあふれ、やわらかい人との触れ合い…、
あの和民にさえ入らなければこの全てが体感できるのである。
この経験を踏まえて、他の土地も訪れてみたいものである。
手始めは距離的に同じような大阪にでも攻め込もうか。
かの地も独特の雰囲気にあふれているらしいし。
正義のそろばんと一戦交えるのも面白いかもしれない。
~次回予告~
「そうだ、京都へいこう!2 ~観光編~」
美食編からわずか2週間後、再び京都を訪れ、今度は観光地をご紹介♪
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